自己憐憫
自己憐憫
僕が通い始めたばかりの自助グループAAでは、毎回、テーマを設けて体験談を話したり、議論が行われるんですが、よく「自己憐憫」について上がるようです。
自己憐憫について、僕自身は「飲み友達」について上げます。
プロフィールにも書いてあるんですが、現在38歳独身です。ちょうど30歳頃にアルコール依存症の診断名を下されました。
18歳頃から飲み始めたんですが、20代半ばぐらいまではよく飲み会にも参加していました。仲間との飲み比べにも負けず、一気飲みなど頻繁にしていました。
いわゆる価値観をお酒の強さに置いていた時期があります。
それはそれで楽しかったのですが、少しずつ体も壊し、少しずつ価値観のズレに違和感を感じるようになり、そのような価値観は捨てるようになっていきました。
僕の場合、読者のみなさんは分かりませんが、付き合ってきた飲み友達には負けませんでした。
そのため、飲み会の一次、二次、三次と終わっても飲み足りないパターンが多くなり、そう感じた頃から1人飲みが始まりました。
正直、30歳以前からアルコール依存症の兆候はあったように思います。
1人飲みが増えていくと、どうなっていったかと言うと、飲み会に参加する回数が減ったり、飲み会があまり楽しくないと感じるようになりました。割合として、1人飲みが増えていきました。
1人の方が好きなだけ思う存分飲めますからね。その点、あまり周りとの調和を合わせるのが難しかったです。
そうすると、飲み会にも誘われなくなったり、自然と仲間も離れていきました。
加えて、30歳頃のアルコール依存症診断後、断酒をしなければいけないと自覚し、僕はさらに飲み会に参加しなくなりました。同様に、さらに仲間も自然と離れていきました。
飲み友達とは、何なのか。
それは、そのまま飲むだけの友達ではないのだろうか。つまり、飲まなくなっただけで離れるようになる関係というのは本当に心から通じ合える仲ではないということでしょうか。
自己憐憫とは、一応、分かる人もいると思いますが、「可哀想」「惨めだ」のように自己評価を下すことです。僕は、自助グループで初めて知りました。
自助グループでは、この自己憐憫の体験談を話すことにより、周囲が様々な実例を出すなどして、「そうではない」のようなアプローチをかけ、「自分は恵まれているほうだ」などの気付きを得るプログラムのようです。アプローチを強制しているわけではなく、理想としてです。
ここで大切なのは、実際に幸か不幸か自分と相手を天秤にかけ、比べるのではなく、ポジティブ思想への変換方法だといいます。
このテーマがよく上がる理由として、アルコール依存症は自己憐憫の思想が強くなるからだといいます。そういうネガティブ思想ばかりでは、断酒継続も難しくなるからだといいます。
僕のプロセスを簡単にまとめると、
お酒が強い価値観→周りと歩調が合わず、1人飲みが増える→仲間を失う→体を壊す→お酒が強い価値観に違和感およびその価値観を捨てる→断酒を自覚
これが僕にとっての飲酒の結果です。
断酒の方が間違いなく良さそうです(^^)
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